原作者

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原作者

ウィリアム・カムクワンバ/WILLIAM KAMKWAMBA /WILLIAM KAMKWAMBA

1987年、マラウイ・リロングウェ出身、7人のこどものうち唯一の男児。国中を襲った大干ばつにより、14歳の時、学費を払えず中学校を退学。以来、NPOの寄贈図書室で物理や化学を独学で学び、廃品を利用して“風力発電のできる風車”を自宅の裏庭に製作。当時人口2%しか電気を使うことができないマラウイで、家に明かりを灯すことに成功する。この出来事が国内外の記事で取り上げられ、国際会議「TEDグローバル」へ招待されるなど、一躍、世界的な名声を獲得。2013年タイム誌「世界を変える30人」に選出。2014年にアメリカの名門ダートマス大学を卒業し現在は同国在住。マラウイにも定期的に帰り、農業、水アクセス、教育など様々なプロジェクトに携わっている。

インタビュー

原作者 ウィリアム・カムクワンバ 
インタビュー

Q:映画に出てくる発電機を作ったのは何歳の時でしたか?

14歳の時だった。

Q:この映画が完成して観た時、どんな感慨が湧きましたか?

風車を建設している時、将来、自分についての映画ができるなんて想像もしていなかったから、完成した映画を観てとても感激した。でも心境は複雑で、というのも僕と家族がくぐりぬけなければならなかった辛い体験を再度思い起こすことになったから。しかし子供の頃故郷で、友達と楽しく過ごした思い出も戻ってきて、辛い気持ちと楽しい気持ちが入り混じった気持ちになったんだ。

Q:アフリカの多くの国では、義務教育の年齢にあたる時、学校に全員が行けない状況が出てきます。
当時をどう振り返りますか?

確かに困難な時期だった。学校に通えなかったのは辛かった。教育を受ければ、自分の夢がかなうと思っていたから。自分のやりたいことがやれる人生を送りたいと思っていたから。農民にはなりなくなかった。農業がいやというわけではないが、マラウイの農民の多くは自ら選択して農民になったわけではない。他に選択がなかったからだ。そういう人生を僕は送りたくなかったんだ。

Q:風車を作ったことが記事になり、タンザニアに「TEDグローバル」のゲストとして招待され講演したことがきっかけで世界中から注目を集めるようになったそうですが、風車を作ってからあなたの人生はどう変わりましたか?

風車が完成した後も、図書館に通い続けた。僕の村の図書館司書を通して風車の話を知ったジャーナリストが記事を書いたんだ。それでタンザニアに招待されて講演を行ったとき、何か助けられることはないかと多くの人が協力を申し出てくれた。それで僕は風車の開発を続けると同時に、学業も続けることができたんだ。

Q:現在はどんな仕事をなされているのですか?

僕はアメリカの大学を卒業したが、妻が大学を卒業するまでは、アメリカとマラウイを行ったり来たりしながら、プロジェクトに関わっていく予定だ。ゆくゆくはマラウイに戻る。現在はまだ才能ある人たちへの支援が欠けていると思うから、若い人たちが夢を実現できる環境を提供できればと思う。イノヴェーション・センターを立ち上げたので、そこを若い人たちが作りたい機械が作れるような場にしたい。彼らがプロになる道につながってくれればと思う。僕が風車を作った時、誰も僕の案にアドバイスしてくれる人はいなかった。だからイノヴェーション・センターはそんな人たちの助けになれればと思うんだ。

Q:世界中のいろんな人と会ってみて、触発された人はいますか?
尊敬する人は?

風車をそもそも作ったインスピレーションは祖母だった。祖母は自分の手で煉瓦を作っていた。煉瓦作りは男性の仕事とみなされていたが、一般的な男性の仕事、女性の仕事という考え方にとらわれずに祖母は自分で煉瓦を作って家を建てたんだ。人から、何故夫の仕事をしているのか、と言われたが、祖母の答えは、「火事が起きたら誰かが来るのを待てない。すぐに自分で消すしかない」と。自分の問題は誰かの助けを待つのではなく、自分で解決するものなのだと信じていた。そんな祖母にインスパイアーされた。どんな状況においても、自分で解決策を見つけるのが大切だとね。

(2019年2月/interview&text高野裕子)

原作

文庫/単行本

「風をつかまえた少年」
文藝春秋刊
ウィリアム・カムクワンバ ブライアン・ミーラー(著)
田口俊樹(訳)池上彰(解説)

「風をつかまえた少年」文藝春秋刊

絵本

「風をつかまえたウィリアム」
さ・え・ら書房刊
ウィリアム・カムクワンバ ブライアン・ミーラー(著)
エリザベス・ズーノン(絵)さくまゆみこ(訳)

「風をつかまえた少年」文藝春秋刊