コメント

谷川俊太郎(詩人)

詩の花がほころびる、平凡な日々の暮らしにひそむ愛から。おだやかな気持ちになれる静かな映画。

小林聡美(女優)

やってくる日々には一瞬たりとも同じ風景はない。そのうつろいの中に詩人は言葉をみつける。仕事と妻と犬、そしてバーでの一杯。白いページには無限の可能性が、粛々と続く毎日にはきらきらした瞬間が、そこかしこに。

角田光代(作家)

私は今まで何百種類もの、数え切れないほどの、うつくしいものを見てきた。でも、この映画にはまったくはじめて見る「うつくしさ」が描かれていて、そのことに震えた。

柴田元幸(アメリカ文学研究者/翻訳者)

それ自体すぐれたいくつもの詩が、必然的に、実にいい感じに、詩としてしっかり味わえる形で組み込まれている。映画と詩の幸福な融合。

鋤田正義(写真家)

ワーキングクラスの若い男女の1週間を描いた話だが、アーティストでもある2人の物質的な生活より精神的な生活に視点が向けられ、男女の愛や夢を描いた素晴らしい映画だ。同監督の『ミステリー・トレイン』の永瀬正敏も出演し、主人公との絡みで「人と人の交流」の暖かさを好演している。

町田康(作家)

詩とはなにかということを、この映画を観てやっと知りました。夢のように過ぎ、泡のように消えていく日々の生活のなかで私たちは、毎日、真っ白なノートを贈られているのだと知りました。

菅原敏(詩人)

流れてゆく車窓。ただいま。おかえり。
しずかなキス。犬の散歩。いつものビール。
ふたりで眠り、おんなじ時間に目を覚ます。

詩は生活のどこにでもあって
パターソンはそれらをそっと持ち帰り
ひみつのノートにしまい込む。

そんなマッチ箱の中の小さな日常が
心にやさしい火をともしてくれる。

文月悠光(詩人)

こんな風に、詩と日常が見事に接続された映画は初めてだ。 妻の腕の中で、バスの運転席で、バーカウンターで、少女の隣で―― 日々のゆるやかな変化を養分に、詩の言葉が芽吹いていく。 街に息づく詩人・パターソンに、強いシンパシーを覚えました。

太賀(俳優)

ただ静かに、あなたは何者になりたいのかを問われたようだった。
久しぶりのジャームッシュ映画で横っ面を叩かれた。
これだから、この最高にクールな監督への憧れはやまない。

ふかわりょう(タレント)

やった!待ってました、ジム・ジャームッシュ!
やっぱり最高!見事にノックアウト!
大人になってもまだまだ虜。永瀬さん、よかった~

尾崎世界観(クリープハイプ)

何でもないありふれた毎日というのはどこか不気味で、それは、簡単に刺激が手に入る映画のような日常に慣れ過ぎてしまったせいだろう。だからこそ、こんな、日常のような映画に強く惹かれる。

前野健太(シンガーソングライター)

言葉で、映像で、これでもかと現実を愛撫する。それが詩だ。光は濡れていた。夜はみずみずしく。ジム・ジャームッシュ、ありがとう。この時代にも、まだ触れられていない、泉はあった。

髙城晶平(cero)

滝が上から下へと流れていくように、月曜日はやがて次の月曜日へとスライドしていく。人はそんな循環する七日間のなかに漂う聖霊を吸い込んで、詩だったり、カップケーキだったりに置換している。ぼくやあなたが毎日やっていることだ。ジャームッシュは当たり前の日々をそっと映画に仕立て上げた。厳かに、謙虚に、少しだけスパイシーに。いつもよりさらにオフビートではあるけれど、その分作品や人物への敬意を充分に感じられて興味深かった。

伊賀大介(スタイリスト)

とかく映画や詩ってやつは「革命」的なモノと共に語られがちだ。
だが、真に語られるべきは、映画や詩や文化は「日常」のすぐ隣に居る、って事だ。

小島秀夫(ゲームクリエイター)

現実は映画ではない。事件も冒険も未曾有の危機も起こらない。ただ堅実な日常が続くだけ。この「パターソン」もブロックバスター作品の様に観客を飽きさせない為の波乱やアクシデントが次々起こる訳ではない。
パターソンという街に暮らすパターソンというパターン化されたバス運転手の劇的ではない7日間を共有する。
しかし、規則正しく繰り返される静かな毎日に詩が宿り、豊かに見えてくる。ジャームッシュは魔法のような映画を再び創り上げた。

ライアン・ジョンソン(映画監督『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』)

12時間以上見続けていられる。この世界にずっといたい。
※オフィシャルTwitterより

カトリーヌ・ドヌーブ(女優)

ジム・ジャームッシュの『パターソン』、大好きでした。滑稽で、優しさがあり...、ジャームッシュの作品はほとんどすべて見ています。
※NOBODY WEB版より

小林聡美(女優)

やってくる日々には一瞬たりとも同じ風景はない。そのうつろいの中に詩人は言葉をみつける。仕事と妻と犬、そしてバーでの一杯。白いページには無限の可能性が、粛々と続く毎日にはきらきらした瞬間が、そこかしこに。

柴田元幸(アメリカ文学研究者/翻訳者)

それ自体すぐれたいくつもの詩が、必然的に、実にいい感じに、詩としてしっかり味わえる形で組み込まれている。映画と詩の幸福な融合。

町田康(作家)

詩とはなにかということを、この映画を観てやっと知りました。夢のように過ぎ、泡のように消えていく日々の生活のなかで私たちは、毎日、真っ白なノートを贈られているのだと知りました。

文月悠光(詩人)

こんな風に、詩と日常が見事に接続された映画は初めてだ。 妻の腕の中で、バスの運転席で、バーカウンターで、少女の隣で――日々のゆるやかな変化を養分に、詩の言葉が芽吹いていく。 街に息づく詩人・パターソンに、強いシンパシーを覚えました。

ふかわりょう(タレント)

やった!待ってました、ジム・ジャームッシュ!
やっぱり最高!見事にノックアウト!
大人になってもまだまだ虜。永瀬さん、よかった~

前野健太(シンガーソングライター)

言葉で、映像で、これでもかと現実を愛撫する。それが詩だ。光は濡れていた。夜はみずみずしく。ジム・ジャームッシュ、ありがとう。この時代にも、まだ触れられていない、泉はあった。

伊賀大介(スタイリスト)

とかく映画や詩ってやつは「革命」的なモノと共に語られがちだ。
だが、真に語られるべきは、映画や詩や文化は「日常」のすぐ隣に居る、って事だ。

小島秀夫(ゲームクリエイター)

現実は映画ではない。事件も冒険も未曾有の危機も起こらない。ただ堅実な日常が続くだけ。この「パターソン」もブロックバスター作品の様に観客を飽きさせない為の波乱やアクシデントが次々起こる訳ではない。
パターソンという街に暮らすパターソンというパターン化されたバス運転手の劇的ではない7日間を共有する。
しかし、規則正しく繰り返される静かな毎日に詩が宿り、豊かに見えてくる。ジャームッシュは魔法のような映画を再び創り上げた。

カトリーヌ・ドヌーブ(女優)

ジム・ジャームッシュの『パターソン』、大好きでした。滑稽で、優しさがあり...、ジャームッシュの作品はほとんどすべて見ています。
※NOBODY WEB版より

(敬称略・順不同)