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アルフレッド・ヒッチコックAlfred Hitchcock

1899年8月13日ロンドンに生まれる。1915年、ヘンリー電信ケーブル会社に入社し、広告部門で製図工からデザイナーとなる。1920年にイズリントン撮影所へ入所すると、サイレント映画の字幕制作を手掛けるようになり、やがて脚本や助監督を担当。当時<ドイツ表現主義>の時代にあった独・ウーファ撮影所で共同製作に参加したのち、「快楽の園」(25)で監督デビューを果たした。1926年には、撮影現場で出会ったアルマと結婚。イギリス映画としてのトーキー第1作「恐喝(ゆすり)」(29)や『暗殺者の家』(34)をヒットさせたことからハリウッドに呼ばれ『レベッカ』(40)を監督。この作品がアカデミー作品賞に輝いたことでいきなり成功を収め、およそ年に1本のペースで監督作を発表する。50年代に全盛期を迎え、1957年からは「ヒッチコック劇場」でテレビの世界にも進出。アカデミー賞には5度監督賞候補となりながらも無冠に終わるなど不遇な面がある一方で、今なお評価の高い『サイコ』(60)などサスペンスをテーマにした作品を中心に監督したことから“サスペンス映画の神様”とも呼ばれる。1980年に80歳で亡くなるが、その直前イギリス王室からナイトの爵位を受けている。

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フランソワ・トリュフォーFrançois Truffaut

1932年2月6日パリに生まれる。複雑な家庭環境のもと非行を繰り返し、少年鑑別所に入れられたところを批評家アンドレ・バザンに引き取られ家族同然に生活。それをきっかけに15歳頃から映画評論を始め、バザンが編集長を務めていた映画誌「カイエ・デュ・シネマ」を中心に保守的なフランス映画を批評して“フランス映画の墓堀人”とも呼ばれた。1954年に習作「ある訪問」を監督したことから映画制作を始め、長編監督作『大人は判ってくれない』(59)がカンヌ国際映画祭監督賞に輝く。ジャン=リュック・ゴダールやクロード・シャブロルらと共に<ヌーヴェル・ヴァーグ>の旗手として注目を浴び、1968年のカンヌ国際映画祭では<五月革命>の影響下「ブルジョア的な堕落」と粉砕運動を展開して映画祭を中止に追い込んだ。その後、政治活動から離れ映画制作に集中。ジャン=ピエール・レオー演じるアントワーヌ・ドワネルを主人公にした作品、女性の情念を描いた作品などを製作。1974年には『映画に愛をこめて アメリカの夜』でアカデミー外国語映画賞を受賞。『未知との遭遇』(77)に役者として出演するなどしたが、1984年に脳腫瘍のため52歳の若さで急逝した。

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2016年12月10日(土)新宿シネマカリテほか全国順次公開