画像

デビッド・フィンチャー

「父の本棚に映画作法を論じた本があった。
映画作家を志していた私に、この本を読めと父がいった。
夢中になって読んだ。すばらしい本だ」

1962年、米・コロラド生まれ18歳でILMに入社し『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(83)等の制作に参加。86年にプロパガンダ・フィルムを設立し、革新的スタイルのMTVやCM業界に新風を吹き込む。その腕を買われ、92年『エイリアン3』で監督デビュー。続く『セブン』(95)、『ファイト・クラブ』(99)が世界的にヒット。その後もダークなサスペンス・ドラマを得意とし、『ゾディアック』(07)、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(08)、『ソーシャル・ネットワーク』(10)、『ゴーン・ガール』(14)等、話題作を放ち続ける。ハリウッドにおいて映画作家としての地位を獲得している数少ない映画監督のひとり。

画像

ウェス・アンダーソン

「なにしろ分厚い本だったからね。
私はペーパーブック版を持ち歩いて読み続けたよ」

1969年、米・テキサス州生まれ。大学でオーウェン・ウィルソンと出会ったことから映画制作を始め、「アンソニーのハッピー・モーテル」(96)で監督デビュー。続く「天才マックスの世界」(98)でインディペンデント・スピリット賞を受賞。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(01)『ライフ・アクアティック』(04)、『ダージリン急行』(07)等、ビル・マーレー、アンジェリカ・ヒューストン、ジェイソン・シュワルツマンら常連俳優を起用し、独特のメランコリックなコメディが人気の的。その他、『ムーンライズ・キングダム』(12)『グランド・ブダペスト・ホテル』(13)等、音楽、ファッション、美術にこだわりを行きわたらせたアンダーソン世界は熱狂的ファンを有する。

画像

ジェームズ・グレイ

「ヒッチコックのすべて 映画のすべての結晶」映画『めまい』について

1969年、米・NY生まれ。南カリフォルニア大学で映画を学び、94年、25歳のとき、自身の出自であるクイーンズ地区のロシア系移民を描いた『リトル・オデッサ』(94)で映画デビュー。同作はヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞し、一躍、新しい才能の登場と注目を浴びた。13年の『エヴァの告白』でも祖母の移民体験から着想を得た物語を紡いでいる。カンヌ国際映画祭に出品された『裏切り者』(00)『アンダーカヴァー』(07)や、「トゥー・ラバーズ」(08)と、ホアキン・フェニックスを主演に、ままならぬ人生と格闘する男の哀しみを描いてきた。フランスのセザール賞外国映画賞とも縁が深く、『マイ・ブラザー 哀しみの銃弾』(13)ではギヨーム・カネ監督作に脚本を提供している。

画像

ポール・シュレイダー

貴重な作品でね。まるで禁じられた聖なる映画だった」映画『めまい』について

1946年、米・ミシガン州生まれ。コロンビア大学等で映画を学び、映画評論家として活動後、74年『ザ・ヤクザ』で脚本家デビュー。スコセッシの『タクシードライバー』(76)で脚光を浴び、『レイジング・ブル』(80)『最後の誘惑』(88)などスコセッシ作品の他、ブライアン・デ・パルマの『めまい』へのオマージュが詰まった『愛のメモリー』(76)など、知的でひねりの効いた脚本で鳴らす。また監督業にも進出。『アメリカン・ジゴロ』(80)『キャット・ピープル』(82)、日本の文学、映画に精通し、カンヌ国際映画祭受賞作「ミシマ:ア・ライフ・イン・フォ−・チャプターズ」(85)等の話題作も監督。『白い刻印』(97)ではジェームズ・コバーンにアカデミー賞助演男優賞をもたらした。

画像

オリヴィエ・アサイヤス

「「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」は トリュフォー映画の1本なんだ」

1955年、仏・パリ生まれ。アンドレ・テシネ監督作品で脚本の腕を磨き、86年に『無秩序』で監督デビュー。トリュフォーと同じく、カイエ・デュ・シネマ誌で映画批評家として筆を振るった後に映画作家に転身、『パリ・セヴェイユ』(91)、「冷たい水」(94)等の鮮烈な作風からヌーヴェル・ヴァーグの後継者と呼ばれる。『イルマ・ヴェップ』(96)のヒロインに迎えたマギー・チャンと結婚。離婚後、再び彼女を主演に据えた『クリーン』(04)では、マギーにカンヌ国際映画祭主演女優賞をもたらした。近年も『夏時間の庭』(08)『アクトレス〜女たちの舞台〜』(14)等、日本でも興行的成功を納めている。

画像

ピーター・ボグダノヴィッチ

「ヒッチコックの正当な評価は この本のおかげだ」

1939年、米・NY生まれ。映画監督の他、俳優、プロデューサー、そして映画評論家としても活躍。68年に監督デビューし、『ラスト・ショー』(71)『おかしなおかしな大追跡』(72)、『ペーパー・ムーン』(73)とヒットを放つが、「ニューヨークの恋人たち」(81)が興行的に振るわず、この作品で婚約した20歳年下の女優ドロシー・ストラットンが惨殺されるという悲劇に見舞われる。ふさぎ込んだボグダノヴィッチはジョン・カサヴェテスにより『ラヴ・ストリームス』(84)の撮影に駆り出され、以後、俳優、著述活動に復帰。昨年公開された13年ぶりの快作『マイ・ファニー・レディ』では、彼を慕うウェス・アンダーソンとノア・バームバックがプロデューサーを買って出ている。

画像

マーティン・スコセッシ

「当時もいまも偉大な映画だ。物語の話術“ストーリーテリング”の傑作だと言える。いや、それ以上だ」映画『サイコ』について

1942年、米・NY生まれ。NY大学で映画を学び、67年に長編監督デビュー。ロバート・デ・ニーロ主演でNYを舞台にした『ミーン・ストリート』(73)『タクシードライバー』(76/カンヌ国際映画祭グランプリ)等の傑作を放つ。『アフター・アワーズ』(85)『グッド・フェローズ』(90)をヒットさせ、ハリウッドの階段を駆け上がる。『アビエイター』(04)等を経て、『ディパーテッド』(06)でアカデミー賞監督賞を受賞。『ヒューゴの不思議な発明』 (11)では3D作品に挑戦。最新作『沈黙-サインレンス-』(17)の公開が待たれる。その他『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』(08)等の音楽ドキュメンタリーにも手腕を発揮。豊富な映画知識を誇り、古典映画の復元、再公開にも尽力中。

画像

黒沢清

「アメリカ映画があったらからヒッチコックがあそこまでなれ、
ヒッチコックがいて、アメリカ映画もあそこまでになれた。
この両者の関係が映画の歴史を作ったと言ってもいいだろう」

1955年、兵庫県生まれ。学生時代から8ミリ映画で頭角を現し、88年に『スウィートホーム』で商業映画デビューを果たす。97年の『CURE キュア』で世界を震撼させ、日本映画における新たなサイコスリラーの一ページを開いた。続く『ニンゲン合格』(98)、『大いなる幻影』(99)『カリスマ』(99)等、日本映画の最前線を走り続け、『回路』(00)でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞。『アカルイミライ』(02)、『ドッペルゲンガー』(02)等を経て、『トウキョウソナタ』(08)でカンヌ国際映画祭「ある視点部門」審査員賞、『岸辺の旅』(14)で同部門監督賞を受賞。この夏公開された『クリーピー 偽りの隣人』(16)に続き、フランスで撮影を敢行したロマンス・スリラー『ダゲレオタイプの女』が10月に公開される。

画像

アルノー・デプレシャン

「ヒッチコックは恐怖を極限まで描く。恐怖に魅せられたかのように
恐怖を美にまで高める。恐怖の旋律が愛の旋律になる」

1960年、仏・ルーベ生まれ。IDHECで演出を学び、処女中編『二十歳の死』(91)でジャン・ヴィゴ賞を受賞。96年『そして僕は恋をする』で社会的ブームを巻き起こし、セザール賞有望若手男優賞を受賞したマチュー・アマルリック、エマニュエル・ドゥヴォス、マリオン・コティヤールらを輩出。以降の傑作『キングス&クイーン』(04)、『クリスマス・ストーリー』(08)の中でも、アマルリック演じる男にはデプレシャン自身が重ねられ、トリュフォーとジャン=ピエール・レオーの関係と比較される。13年には本作の監督ケント・ジョーンズが脚本に参加した『ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して』をアメリカで撮る。15年の『あの頃エッフェル塔の下で』では『そして僕は〜』の20年後を描いた。

画像

リチャード・リンクレイター

「ヒッチコックは最高だ。時を刻む彫刻家とも言える。
時間と空間は思いのままに 映画で支配した巨匠だ」

1960年、米・テキサス州生まれ。カルト映画「バッド・チューニング」(93)を経て、『恋人までの距離(ディスタンス)』(95)がベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞し注目を浴びる。『ウェイキング・ライフ』(01) 『スキャナー・ダークリー』(06)等の実験精神溢れるインディペンデント作品と、『スクール・オブ・ロック』(03)等のメジャー作品と両者を巧みに行き来。『ビフォア・サンセット』(04)、『ビフォア・ミッドナイト』(13)の人気シリーズを俳優と共同で生み出しながら、再びベルリンの銀熊賞に輝いた『6才のボクが、大人になるまで。』(14)でアカデミー賞を賑わせる人気の気鋭。最新作『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』(16)が11月日本公開予定

  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
2016年12月10日(土)新宿シネマカリテほか全国順次公開