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2021年、日本初公開されたモロッコ長編映画『モロッコ、彼女たちの朝』(19)は、異国情緒漂うカサブランカの旧市街を舞台に、臨月の未婚女性というモロッコのタブーを取り上げた衝撃のストーリーで大ヒットを記録した。ホブスにムスンメン、ルジザなど、モロッコの伝統パンの登場もパン好きの間で大きな話題になった。モロッコの知られざる一面を日本に伝えたマリヤム・トゥザニ監督が、最新作で取り上げたのは民族衣装のカフタンを作る仕立て屋だ。カフタンとは結婚式や宗教行事などフォーマルな席に欠かせない伝統衣装で、コードや飾りボタンなどで華やかに刺繍されたオーダーメイドの高級品だ。母から娘へと受け継がれる着物のような存在だが、安価で手早く仕上がるミシン刺繍が普及した現在、手間暇かかる手刺繍をほどこすカフタン職人は貴重な存在となっている。トゥザニ監督は伝統を守る仕立て職人の指先にレンズを向け、滑らかなシルク地に刺繍する繊細な手仕事をクローズアップ。消えゆく伝統工芸の美しさを伝える一方で、本作では男性の生きづらさを生むタブーに踏み込み、前作以上に挑発的なラストとした。戒律と法律が異性愛しか許さないモロッコ社会には、真の自分を隠して生きる人々がいる。伝統を守る仕事を愛しながら、自分自身は伝統からはじかれた存在と苦悩する1人の男、ハリムとその妻のミナが、本作の主人公だ。前作のリサーチ中に出会った美容師の男性からインスピレーションを受けたと明かすトゥザニ監督は、愛したい人を愛し自分らしく生きる美しい物語に昇華させた。
センシティブな問題を国際社会に紹介した本作は、2022年カンヌ国際映画祭「ある視点部門」に出品され、国際映画批評家連盟賞を受賞。さらに、2023年米アカデミー賞®モロッコ代表として国際長編映画賞のショートリスト(最終候補15本)にも選出されるなど、国際的に高い評価を得ている。
出演は『モロッコ、彼女たちの朝』(19)で、最愛の夫の死に沈むアブラを演じたルブナ・アザバル。死期迫るミナを体現するために過酷なダイエットを行い、最期の瞬間まで夫に愛と勇気を捧げる妻を熱演する。ミナとの別れを受けとめきれずに立ちすくむハリムには、『迷子の警察楽隊』(07)のサーレフ・バクリ。内なる情熱と本心を隠す悲しみを、吸い込まれるような瞳で訴えかける。複雑な夫婦の愛にさざ波を起こす助手のユーセフには、本作が映画初出演のアイユーブ・ミシウィ。
父から受け継いだ仕立て屋で、極上のカフタンを制作する職人のハリム。昔ながらの手仕事にこだわる夫を支えるのは、接客担当の妻ミナだ。25年間連れ添った2人に子どもはいなかった。積み上がる注文をさばくために、2人はユーセフと名乗る若い男を助手に雇う。余命わずかなミナは、芸術家肌の夫を1人残すことが気がかりだったが、筋がよく、ハリムの美意識に共鳴するユーセフの登場に嫉妬心を抱いてしまう。湧き出る感情をなだめるように、ミナは夫に甘えるようになった。ミナ、ハリム、そしてユーセフ。3人の苦悩が語られるとき、真実の愛が芽生え、運命の糸で結ばれる。
ありのままの自分を許し、愛するストーリーの舞台となったのは、モロッコの首都ラバトと川1本隔てた古都、サレだ。コーランが響く旧市街には、新鮮なタンジェリンが並ぶ市場や大衆浴場(ハマム)、男たちがミントティーを楽しむカフェがあり、通路の上には大量の洗濯物がたなびくなど、素顔のモロッコがスケッチされる。また、愛する夫のためにミナが最後に作ったルフィサ(平たいパンの上に鶏肉と玉ねぎの煮込みを載せた特別なごちそう)や、食欲のないミナのためにユーセフが作った卵入りのタジン料理など、3人がほおばる愛情たっぷりの家庭料理も見逃せない。
型破りのラブストーリー
SLANT
美しく格調高い
Indiewire
手仕事の美しさを追求した作品
Hollywood Reporter
様々な形の愛への、豊かで鮮やかな頌歌
PLAYLIST
2022年最高の作品
FILM INQUIRY
激しく感情が揺さぶられる
Roger Ebert.com
マリヤム・トゥザニ(監督・脚本)
MARYAM TOUZANI
1980年、モロッコ・タンジェ生まれ。映画監督、脚本家、俳優。ロンドンの大学に進学するまで故郷であるタンジェで過ごす。初めて監督を務めた短編映画『When They Slept(英題)』(12)は、数多くの国際映画祭で上映され、17の賞を受賞。2015年、『アヤは海辺に行く』も同様に注目を集め、カイロ国際映画祭での観客賞をはじめ多くの賞を受賞した。夫であるナビール・アユーシュ監督の代表作『Much Loved(原題)』(15)では脚本と撮影に参加、『Razzia(原題)』(17)では脚本の共同執筆に加え主役を演じている。第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品された『Haut et fort(原題)』では共同脚本を務めた。『モロッコ、彼女たちの朝』(19)で長編監督デビュー。数々の映画祭で多くの賞を受賞し20カ国以上で公開された。長編2作目となる本作でも、前作に続き、アカデミー賞®国際長編映画部門モロッコ代表に選ばれた。
ナビール・アユーシュ(製作・共同脚本)
NABIL AYOUCH
1969年、フランス・パリ生まれ。映画監督、脚本家、プロデューサー。長編監督デビュー作『Mektoub(原題)』(97)、さらに2作目の『Ali Zaoua, Prince de la rue(原題)』(00)がアカデミー賞®モロッコ代表に選出され、世界から注目を集める。2012年には『Horses of Cod(英題)』がカンヌ国際映画祭ある視点部門に正式出品、再びアカデミー賞®モロッコ代表にも選出。カンヌ国際映画祭の監督週間に出品された『Much Loved(原題)』(15)は、マラケシュの娼婦たちの日常を描き、モロッコでは上映禁止となる一方フランスでは28万人の観客を動員した。『Razzia(原題)』(17)では共同脚本・主演を本作の監督であり妻であるマリヤム・トゥザニが務めた。また、『Haut et fort(原題)』は第74回カンヌ国際映画祭コンベティション部門に正式出品され高い評価を得た。『モロッコ、彼女たちの朝』(19)に続き、本作でもプロデューサー、共同脚本を務める。
ルブナ・アザバル(ミナ)
Lubna Azabal / Mina
1973年8月15日、ベルギー・ブリュッセル生まれ。ブリュッセル王立音楽院を卒業し、演劇からキャリアをスタート。2005年にはハニ・アブ=アサド監督『パラダイス・ナウ』への出演で注目を集める。また、主演を務めたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『灼熱の魂』(10)は世界各国の映画祭で賞を受賞、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた。その他の主な出演作に、『愛より強い旅』(04)、『ワールド・オブ・ライズ』(08)、『英雄の証明』(11)、『ビヨンド・ザ・ロウ』(17)、『テルアビブ・オン・ファイア』(18)がある。トゥザニ監督作品への出演は、『モロッコ、彼女たちの朝』(19)に続き、本作が2回目となる。
サーレフ・バクリ(ハリム)
Saleh Bakri / Halim
1977年3月1日、イスラエル生まれ。俳優として映画や演劇の世界で幅広く活躍。2007年に『迷子の警察音楽隊』に出演し注目を集める。さらに、主演を務めた短編映画『The Present』(英題)(20)は、アカデミー短編映画賞にノミネートされた。その他の主な出演作に、エリア・スレイマン監督の『時の彼方へ』(08)、『狼は暗闇の天使』(13)がある。
アイユーブ・ミシウィ(ユーセフ)
Ayoub Missioui / Youssef
モロッコの俳優。撮影時は25歳。本作で映画デビューを果たした。