弁護士と若者たちが9.11実話映画から考える
東日本大震災被災者への補償の課題とは?

2月17日、映画の公開を記念して、中央大学で試写会とシンポジウムが開催されました。9.11被害者補償基金について描かれる本作は、日本における東日本大震災被災者に対する補償にも共通する課題を扱っていることから、未来を担う若者たちに、震災復興を含め、分断化されつつある日本社会で困難を抱える人たちに何ができるか、考える機会にしてほしいという思いで行われました。

司会:佐藤信行(中央大学法科大学院教授)
モデレーター:伊藤壽英(中央大学法科大学院教授、弁護士)
ビデオメッセージ:ケネス・ファインバーグ 弁護士
パネリスト:
・宇都彰浩 弁護士 (仙台弁護士会・災害復興支援特別委員会委員(元委員長))
・高取芳宏 弁護士 (霞ヶ関国際法律事務所、英国仲裁人協会上級仲裁人、日本仲裁人協会常務理事)
・吉尾一朗 行政書士(メルクリウス総合行政書士事務所)
・阿部信一郎弁護士(霞ヶ関国際法律事務所)

ケネス・ファインバーグ弁護士からのメッセージ

映画の試写会上映後に行われたシンポジウム。最初に、映画ではマイケル・キートンが演じた実在の主人公であるケネス・ファインバーグ弁護士より、参加者へ向けた特別ビデオメッセージが上映されました。

「お話の機会をいただきありがとうございます。私は過去40年ほどこういった自然災害、大災害などに対する特別な補償プログラムに携わり、どのような枠組みで作り、実施するか、全体的に管理するか、といった自分のやり方を構築してきました。
3.11の後、駐米日本大使から呼び出され、9.11補償ファンドについて説明しました。そして、このような補償プログラムを、被害日本大震災とその後の原発事故の被害者救済に適用できるのではないか、と話しました。原発事故では、放射能の影響で、何の罪もない被害者が被害地を離れ、日本全国へ転居することを強いられました。そこで、特別な補償ファンドといった仕組みを利用できるとして、以下の条件をアドバイスしました。第一に、存続期間を制限すること。すべての人が理解できるよう、透明であること、資金の額と資金源を明らかにすること、どのような基準で補償金支払いの手続が進められるか、発電所からの距離によって請求資格の有無が決まる、と基準を明らかにする、といったことです。このような補償プログラムについては、日本国民の全員が同意しない限り、意見の対立があるのは当然です。実は、9.11補償ファンドのように公的基金を拠出する仕組みは特別なもので、良き先例にはならないと考えています。しかし、今後もそのようなものができない、とは思いません。9.11テロの時に、このようなプログラムを設けることは正しかったのです。しかし、法の下の平等という視点では、公的資金から救済を受ける資格のある被害者と、そうでない被害者が区別されるのは、やはり問題でしょうが、それは私の問題というより、大学の先生や法律家などの専門家に聞いてみることができるでしょう。」

このメッセージを起点に、パネリストから、映画の感想を交え、各々の経験や考えが語られました。

宇都彰浩 弁護士 (仙台弁護士会・災害復興支援特別委員会委員(元委員長))より

「私は、東日本大震災の前から災害の被害者支援に携わってきました。東日本大震災後は本当に大変で、福島など被災地の悩みを抱えている方々の相談会をずっとしてきて、今も続いています。
映画の感想としては、第一に、9.11の補償基金では、全被害者全員をリスト化できたのだという前提がすごいと思いました。日本では、基本は申請主義で、申請しないと行政サービスや補償が受けられない。東日本大震災のケースでも同様です。

第二に、訴訟によらない解決、いわゆる仲裁(裁判外紛争解決手続、ADR)の過程が興味深かったです。いろんな事情を抱えている方々がいて、皆さんに納得いただける基準を作るのは難しい。映画では、個人面談をして、最終的に97%を任意で請求させたことがすごいと思いました。東日本大震災や、福島第一原子力発電所事故の賠償については、1.東京電力に直接請求する方法、 2.原子力損害賠償紛争解決センターに申請し、東京電力と被害者との話し合いを斡旋して合意に至る方法(ADR)、 3.訴訟する方法 の3つがある。しかし、直接請求はともかく、ADRや訴訟に参加されている方はごくごく僅か。なぜなら難しいから。原発から20km圏内の方などは特にそうですが、着の身着のままで避難せざるを得ず、そのまま戻れなくなっている方々がたくさんいます。ショックを受けたり、避難所も転々としたり、人生の先の見通しがなかったりして、精神的に病んでいってしまう方も。そういった状況でものすごく疲れてしまっている方々が、直接請求やADRなどの情報を自分から取りに行くのは極めて難しい。そういう方に対してどう支援するかが、原発事故に関わってきた弁護士の課題です。
また、賠償金を支払うためには明確な基準が必要ですが、基準を作るということは、あてはまる人、あてはまらない人を必ず生み出します。とくに、福島の原発事故だと、帰還困難区域、避難準備区域と、いろんな線引きをしました。途中から線引きも変わり、その都度、賠償金の支払い額も変わります。それにより、同じ地域でも、お金を貰えるか否か、高いか安いか、という差が生まれ、不満が渦巻き、地域コミュニティを分断していってしまいました。これは本当に悲劇です。ファインバーグ先生が言っていたように、地域を分断する、社会が混乱する、被害者とそうでない人たちを分断する、ということを起こさないのがとても大事で、それが難しい。この映画を観て改めて思いました。
震災後の地域移転の手伝いをしていて映画と共通していると感じたのは、被害者遺族が「前に進む」ことができるのは、自分で考えて納得して選択したからなのだ、ということ。「納得感」がないと、人は前に進めません。他者から避難を指示され、住居を指示され、地域コミュニティから離されてしまうと、前を向いて生きていけない方々もたくさんいます。逆に、自分で生き方を決めて支援制度を使ってきた方々は、なんとか笑って生きているからいいね、と言えます。この差はとても大きい。映画の遺族の方々も、話を聞いてもらって、前に進もうと決めましたよね。だから自発的に申請できた。そのプロセスが保証されていることが非常に大事だと感じました。」

高取芳宏 弁護士(霞ヶ関国際法律事務所、英国仲裁人協会上級仲裁人、 日本仲裁人協会常務理事)より

「実は過去に、ファインバーグ先生と同じような立場に立ったことがあります。薬害エイズ訴訟(血液製剤によって何千人もの血友病患者がHIVになり、裁判が全国で起きた)を和解でまとめた経験です。明確な計算式に則って継続的に血友病患者の救済を行なっていました。企業側の代理人であったため、国家側の弁護士だと週刊誌で叩かれたりもしました。

9.11補償のケースと類似するのは、第一に、被害者が多く、グループ訴訟が全国で起きたという、集団的な側面。第二に、被害感情や憎しみが強いという側面。第三に、天災と人災の融合であること。HIVウィルスという天災的なケースでもあり、血友病の患者を救うために点滴をしていたけれども、予見可能性が出た時に半分以上の患者が実は感染していた。裁判で決着をつけると、半分の方が救われない。包括的な救済をどうするか、という難しさが共通していると感じました。
また、国際調停人(ADR)の観点で言うと、大前提として、関与する方々で共通のゴールを設定するのが非常に重要です。映画のタイトルに「命の値段」とありますが、命に値段などつけられるはずはなく、あくまで「その人が生きていたら得られたであろう逸失利益」といった経済的損失を基準として作っているだけ。本件の場合は、9.11テロ後、国の経済が破綻すると、継続的に受けられる救済も受けられなくなるので、「米国という集団を継続させながら、被害を被った方々に対してうまく機能する基金を運用すること」が必要であり、それが共通のゴール設定でした。その手段として最終的にファインバーグ先生はコミュニケーションを大事にしたのです。
国際調停人の場面では、当事者、原告側、被告側、申立人側、被申立人側の共通のインタレストを探します。裁判では、法的な論点について判断しますが、調停は、共通のインタレスト、本件でいえば「早期解決」、また、「支払いをどのようにいくら払うか」といったことを、一つ一つピックアップしていきました。そのためにはコミュニケーションがなんといっても一番重要です。映画では、ファインバーグ先生は(初めは怠るけれども)コミュニケーションによって共通項が見えてきて和解に至る。まさに国際ADRの手法が使える事案だったと言えます。」

吉尾一朗 行政書士(メルクリウス総合行政書士事務所)より

「宇都先生が仰っていたことに関連して。申請主義は、平時においては合理的な仕組みだと思っています。ただし、これが、前提が損なわれる緊急時に変えられないことは大きな問題です。役所側は申請者側の情報を持っていないというのが日本の文化。映画を観て思ったのは、信頼関係を築かないと情報が出てこない、理解が出来ないということです。日本でも、コミュニケーションを普段からとらないといけない、申請主義に頼って仕事をしているからこその難しさがあると感じました。

阿部信一郎 弁護士(霞ヶ関国際法律事務所)より

「東日本大震災の補償についての話を受けて。行政側でできることは限られています。行政は大量の人数に対応しますが、その網から外れる人を助けることが、弁護士や司法書士の非常に重要な役割だということを再認識しました。人が何らかの被害に会ったとき、プロセスに寄り添えるのは弁護士冥利に尽きること。また、法律家として大切なのは、自分がファインバーグ弁護士だったらどうすればいいか?何ができるのか?とにかく和解に向かって進むのか、または別の方向があるか。考えることが必要であると思います。

最後に、司会の伊藤教授からのメッセージで、シンポジウムは締め括られました。
「地域コミュニティが分断されたという福島の現象について。ファインバーグ先生は、コミュニティの属するもっと大きなコミュニティ、つまり州や国家まで分断されてしまうというのを気にされていました。日本の状況を見ると、高齢化も含めて、社会の分断化が起こっています。その現状をどうすればいいか?「個人の利益」と「社会」の紐帯を結びつけるのが法律家の仕事だと思います。

ページトップへ戻る