20世紀を代表する芸術家マン・レイ×ジム・ジャームッシュ監督 時代を超えた奇跡のコラボレーション 監督:マン・レイ 音楽:スクワール (ジム・ジャームッシュ&カーター・ローガン) 配給:ロングライド (c) 2023 WOMANRAY/CINENOVO - ALL RIGHTS RESERVED
音楽に精通しギターを演奏をすることでも知られるジャームッシュは、マン・レイが残したサイレント映画に合わせたライブ演奏を2017年から継続的に行ってきて、その完成形が本作ということになる。マン・レイの映画における複雑な映像トリックや特殊効果は、一世紀も前にどうやって撮られたのかという我々の想像をかき立てるわけだが、そこに幻想的に、時に激しく演奏される音響によって、リストアされた美しい映像がより現代的かつ臨場感を帯びた作品に生まれ変わったと言えるだろう。
マン・レイはダダイストのパイオニアとして美術界ではよく知られているが、21歳の時にニューヨークからエコール・ド・パリで沸いていたパリに向かい、芸術家が多く住んでいたモンパルナスにアトリエを構えた。友人のマルセル・デュシャンを介してパブロ・ピカソ、エリック・サティ、アンドレ・ブルトン、ジャン・コクトーといった先鋭的な画家や音楽家や詩人たちと交友を持つようになる。写真を軸とし印画紙に直接イメージを焼き付けるフォトグラムを使った作品(彼はそれを「レイオグラフ」と名付けた)で有名であるばかりか、絵画、彫刻、コラージュ、1920年代にサイレント映画も手がけ、それが超現実的な世界が繰り広げられる今回の4本の映画である。最初に言っておくと本作品は制作された年代順に並んでいなく、3作目となる「ひとで」(1928年) から始まる。詩人のロベール・デスノスの詩に触発された物語で、男と女が道を歩くシーンが映し出される。女はマン・レイの当時の恋人だったキキ(ド・モンパルナス)が演じている。揺らいだもやのような映像は超現実の描写を意図したのだろうか。流れる音も幻想的だ。建物に入るや女は服を脱ぎ始め、男はそれを静かに見つめ立ち去る。次のシーンでは風に舞う新聞を追ったり、手のひらの黒い線だったり、星空だったりと目まぐるしく変わっていき、その場面場面に性的なほのめかしを込めた“ひとで” が象徴的に現れ、女に振られた男がひとでの入った瓶を見つめ「彼女は美しい」という言葉で終わる。
それに続くのが「エマク・バキア」(1926年) と題されたシネポエムだ。裕福な芸術愛好家の夫妻が、フランス南西部のバスク地方に所有していた別荘で映画を撮るように依頼し、タイトル(「ひとりにしてくれ」の意)はこの別荘の名前に由来する。カメラを回すマン・レイが一瞬だけ登場した後、闇夜のネオンサイン、踊る女、バンジョー弾き、波打ち際、泳ぐ魚、回転する彫像など動きのあるシークエンスが流れるように続き、まぶたに目を描いたキキが目を開け閉じする映像でフェイドアウトする。3番目の「理性への回帰」(1923年) は、最初期の作品であるとともにダダイスムの映画版といえるもので、脈絡のない3分弱の映像は、塩や胡椒を直にフィルムに振りかけた実験的作品だ。レイオグラフを映像化したような抽象的なイメージの連続、スクワールもパーカッションを用いた躍動的なリズムを刻み、縞模様が投射された裸婦が幻影のように映し出される。
ラストの「サイコロ城の謎」(1929年) は、マン・レイが制作した映画フィルムの中では最長の27分の映画で、ジャーマッシュも一番好きだと語っている作品である。この映画の出演者はなぜか全員絹のストッキングを被っていて顔立ちや表情が判然としなく、「大小のサイコロを1組ずつ、そして6人の登場人物にストッキングを被らせることで、神秘性と匿名性をつくりだそうとした」とマン・レイはこの演出に関して述べているが、確かにミステリアスな雰囲気が漂う作品である。丘の上のモダンな邸宅が映し出され、次に夜のカフェでストッキングを被った二人がサイコロを振っているシーンに変わる。行き先をサイコロに目に応じて決め、パリから車で田舎町を疾走し、南仏のイエールの丘にあるル・コルビジュエ風の近代的な白い邸宅にたどり着く。美術蒐集家の家だが人の気配はまったくない。夜が明け、ストッキングを被った四人組がバスローブ姿でサイコロを順に振っている。投げ終わると水着姿で邸内のプールで泳いだり、器械体操をしたりと室内を自由に動き回る。男女の旅人が邸宅の庭でサイコロを振りこの場所に留まることとなる。ふいにブルーの映像が現れ、木製の手から二個のサイコロが転び落ちて映画は終わる。
今回の試みに関してジャームッシュは、「ぼくらがやろうとしていること、そしてマン・レイがやったことは、結局、ある種の恍惚状態を作り出すことだったと思う。意識と無意識、夢と覚醒、現実と超現実世界の間にある小さな空間に存在する場所なのだ」と語っている。エコーを効かせたドローン(持続音)が幻想的な世界に誘う覚醒作用があり、実験的な映画に新たな解釈を促す効果を生んでいるわけだが、遊び心とユーモアを好んだマン・レイだっただけに、生まれ変わった映像に現代の音楽を融合させた本作に「なかなかいい出来栄えじゃないか」と眼を細める表情が浮かんでくるのである。マン・レイの映画は何度見てもエキゾチックで、エロクェントで、エロティックだ。偶発的につくられた映画に「スクワール(ジム・ジャームッシュとカーター・ローガンのユニット)」の音楽が加わることで、映画に潜在していた喩えようのない煌めきが活性化する。見る度に光の輝度が変化し、世界が刷新される。スクリーンを眼差す毎に光源が転移し、新たな振動が生まれてくるかのようだ。
マルセル・デュシャン、フランシス・ピカビアと並ぶニューヨーク・ダダ三法王の一人、エマニュエル・ラドニッキー(後に''光線男(マン・レイ)''と改名)は、魂と物質の漂流を繰り返し、光と愛の至上主義を掲げ、20世紀の偶像破壊と感覚実験を繰り広げた。マン・レイによる写真やオブジェは有名だが、1921年にパリへ移住してから4本の映画を制作し、前衛映画の先駆者となったことはあまり知られていない。しかし''絶対的な自由''を生きるその映画は、今見ても古びることなく、百年前の映画と思えない斬新さと神秘を放ち続ける。しかもその創造力の根底には、絵画、彫刻、写真、映画の垣根を軽やかに越境し、無意味なジャンル分けを嘲笑う過激で挑発的な意志が満ちている。
マン・レイの映画で何より注目しなくてはならないのは、光の本質を探究する冒険的で遊戯性に溢れたその身振りだろう。物語や表層に侵された映画をなぞることを根本から否定することで、視覚の限界を突破してゆく。その姿勢と運動が常に画面を''胸さわぎ''状態に置き続ける。処女作「理性への回帰」(1923)の初演は、パリのミシェル劇場でおこなわれたダダの夜会「毛の生えた心臓」だった。ハンス・リヒターの「リズム21」、チャールズ・シラーとポール・ストランドの「マンハッタ」と同時上映され、ピアニストのジョージ・アンタイルの音楽スコアが加えられた。小型撮影機を入手したばかりのマン・レイの至福の感情が投影され、ヒナギクの咲く野原、光を透過するカーテンの前の裸体、アトリエに吊るされた螺旋のモビールといった脈絡の無い断片が金属の雪のようにひらひら落下してくる。
パリのヴュー・コロンビア劇場で上映された「エマク・バキア」(1926)は、スペインに近い避暑地ビアリッツとパリで撮影された「映画詩(シネポエム)」である。音楽も付けられ、ジャンゴ・ラインハルトのギターから始まり、ピアノトリオがタンゴやフランスの流行歌を奏でた。''見つめる眼''のモチーフが反復され、観客をスクリーンの逆さまの眼が見つめ返す。ダダの詩人ジャック・リゴーが登場するラストシーンは、無音で始まり、その後、ウィンナ・オペレッタ「メリー・ウィドウ(陽気な未亡人)」が演奏された。タイトルはバスク語で「邪魔をしないで」の意味である。「女の歯は魅力的なオブジェだ」で始まる「ひとで」(1928)は''シュルレアリスムの預言者''ロベール・デスノスの詩をシナリオとした。検閲を逃れるため曇りガラスのようなゼラチン・フィルターを駆使し、全裸の女が男を挑発するビザールな光学映画となった。デスノスが旅に出る夜、ベッド脇にあった、ひとで(''海の星''の異名を持つ)に触発されて書き上げた多重な夢の物語である。
「サイコロ城の秘密」(1929)は、南仏イエールの丘に建てられた''映画建築の巨匠''ロベール・マレ=ステヴァンス設計のサイコロ城(ノアイユ子爵別荘)を舞台にしている。パリを出発した二人の旅人が謎に満ちたモダニズム建築の城に辿り着き、その不思議な空間で行われる妖しい水の儀式を目撃する。パリのスタジオ・ウルシュリーヌで初演された時は、エリック・サティの「ジムノペディ」の第1番と第2番が演奏された。ルイス・ブニュエルとサルバトーレ・ダリによるシュルレアリスム映画の名作「アンダルシアの犬」と共に上映されている。「私は今まで見たことのない何かを、そして理解できない何かを映画の中で見てみたい」とマン・レイは言った。「ひとで」の中でロベール・デスノスが呟くように、「眠りと目覚めた状態の間に境界など無い」ことをマン・レイは表明し、映画もまた夢の播種であることを鮮やかに刻印した。見る者の潜在意識を引き摺り出す光源である映画は、夢と同じように光だけで出来上がっている。マン・レイ・マニアのジム・ジャームッシュはそのことを深く理解し、音楽と映像の波動の只中に見る者を招き寄せた。映画とは光の恍惚状態を生み出すヴェールに他ならないことを、この二人の奇跡のコラボレーションが明らかにしている。